菅江真澄、民俗学の祖

のちに柳田國男に再発見され、「民俗学の祖(おや)」と呼ばれた人物。三河に生まれ、蝦夷地(北海道)から下北半島、恐山、津軽を旅し、秋田で一生を終える。旅の中で、アイヌの習慣や世界観を初めて自身の日記に記述し、自分の解釈ではなく、土地の人びとの話をそのまま記述していた。これは出来そうでいてなかなかできないことかも知れない。恐山へは5回訪れたそうで、当時はイタコはいなかったらしい。山の湯と呼ばれ、湯治の目的でも人々が訪れていたという。
↓携帯サイト
菅江真澄の歩いた下北